勝てない時、辛いですね。
その気持ち、分かってあげられますわ。ネル飯です。楽しんでますか?私はほどほどです、たまにやって勝って負けてくらいの熱量でVCだとテキストを茶化しつつコミニュティの雰囲気を味わっています。さて、勝てない時。その時ちゃんと楽しいかと言われて素直に楽しいと言えるかどうかですが。私は難しいと思います、何故ならその瞬間の気分は敗北に向いています。真面目に対戦してるなら尚更そうでしょうね、こんなはずじゃなか…
その気持ち、分かってあげられますわ。
ネル飯です。
楽しんでますか?私はほどほどです、たまにやって勝って負けてくらいの熱量でVCだとテキストを茶化しつつコミニュティの雰囲気を味わっています。
さて、勝てない時。
その時ちゃんと楽しいかと言われて素直に楽しいと言えるかどうかですが。
私は難しいと思います、何故ならその瞬間の気分は敗北に向いています。真面目に対戦してるなら尚更そうでしょうね、こんなはずじゃなかったと思う心が1人でに歩いて理不尽にも悔しい気持ちが認識間合いの大枠を染めてしまうことでしょう。
暗い、暗い気持ちですね。それはとても残念です。
こんな時私はなるべく負けを負けとして分解することをしています。
それは何かというと、まず現象として負けているシーンを切り取り分析すること。
JAを空振りした際に射撃がヒットしていた等あればグレイズを優先すべきだったか、そのグレイズ方向を選択した際に確定で反撃が存在するだろうか、そもそもその位置関係でJAはリスクとリターンの計算として正解かなど。
私は正直なところ天則はイマイチ読み合いが理解出来てない部分も多く、自由度も高いゲーム性なのでそれらしい事でしか考えられないのは事実です。
しかし、その部分は読み合いになっていたのか。なっていたならば尚更反省点としてもう一つの選択肢を使うべきだった、そもそもここの受け方が違っていた、その行動に択が成立しているのかなども整理できる点として思考すること自体は不可能ではありません。
これは考えたらすぐ実行出来るかどうかは一旦置いておくものです、トライは出来ても成功すること自体は難しい場合も多いと感じます。
じゃんけんのグーを出すことにそもそも技術介入するゲームと考えるとそんなんすぐ出来なくてもそんなもんだと思ってます。
要するに自分の負けたという感情的部分を一旦置いておき、その負けた部分について冷静な分析に焦点を当てるのです。悔しいはずです、勝ちに繋がることへ最短ルートを通りたいならそうあってもいいのではないかと自分を言い聞かせてみます。
その分析から答えが出ないなら知っている人に聞くまでの疑問点の洗い出しに繋がり、とりあえずで弾き出した答えがあるなら試すことも出来る。シーン別に切り出した問題点は自責の材料ではなく次のゲーム体験の変化と捉えられます。
簡単な話この連携無理やな〜割れたわ〜w
の際に結界したか、霊撃したか、ガンガード貫いた時に暴れてたか。くらいでもいいかもですね、そのシーンで選択してない行動に意味があるかは分かりませんが、思考し実践するのには十分な材料だと思ってます。
感情というものは思ったよりも大枠の現象を捉えていることも多いです。
まぁどうにもならない事を考えると細かく分解しようにもそもそも無理難題な現象も多々あります。
しかしゲームにおいては優しく理不尽にも残念ながら答えが用意されている事の方が多いです、それを叩きつけ合うのが対戦ゲームであるはずです。
現象には理由も付き纏います、それに目を向けずに大枠の分針を嘆く事も出来ます。それでもいいです、誰も咎めません。ゲームにはそれを咎める術があるだけです。秒針に刺さる理由を理解すると変化が起きる幅も生まれてくることでしょう。
私達は理解し、行動する。それは与えられた試練に対しもっともらしい回答を探して足掻く事とも言えます。
なんだかんだこうやってる間に気分がフラットになってきませんか、私はなりやすいです。
完全ではありません。欲求や目標に向かって努力できない瞬間に自己嫌悪する事だってあります。なんだってそうです、自分のことなのに全てにおいてシンプルな行動がとれないもどかしさや教科書の進むページと自分の理解に溝が生まれて虚無感と無力に苛まれて解決策よりも感情が優位になる事も沢山あるんですから。
でも自分に今できる範囲の情報を分解していくうちにどうにか出来る部分なんかがチラホラと拾えることもあるのです。そこは天則も同じだと感じます。
なんの話や?ってね
楽しい気持ちを忘れそうになったら一度自分を裁判や議論の中から外すのも手だよって話でした。
お目汚し失礼しました。

